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さくらこさんのブログです。最近の記事は「戸沢神社からみる、真田信之と清音院殿【追記あり】」です。
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コンテンツサンプル
戸沢神社からみる、真田信之と清音院殿【追記あり】
今回は戸沢神社から、真田信之と清音院殿について述べてみようと思う。戸沢神社というのは、信綱寺から東南に約500mほど離れた場所にあり、現在は宮司も不在で真田町一円の神社管理をしている、山家神社の管轄となっている社である。神社縁起によれば、延暦年中に、諏訪大社の分霊を勧請し、諏訪大明神と称して戸沢地区の産土神とし、郷主戸沢道公も深く崇敬し社領も多かったが、村上義清により没収される。その後、慶長六年...
”しごとはつらいよ”
第2回目のリブログです。今回は放送回の中で、本多忠勝におこうと仙千代のことを打ち明けるというシーンがありました。かなり信幸は緊張していたようですが、実際はどうだったのか?ということについて戦国時代における正室・側室・子息について書きたいと思います。まず、結論から申し上げますとドラマのようなことはほぼ皆無です。武家の男子に生まれると、正室を娶るまでに夜伽(よとぎ・性行為のこと)についての指導が家臣...
”おこうによる、恋愛の手ほどき”
はじめてリブログします。おこう(清音院殿)について少し補足しておきますと、清音院殿に関する史料というのは極めて少なく、『真田家御事跡稿』という、江戸時代末期に編纂された史料の中にほんの少し出てくる程度で出生年など、そのほとんどが謎に包まれた女性です。『真田家御事跡稿』に出典されている項目は以下のとおり。・「信綱寺院殿御事跡稿」(清音院殿の父信綱の御事跡稿)内『滋野世記』信綱女子一人有、男子ナキニ...
元和五年十二月十五日付 坂巻夕庵宛書状
尚々、河内守煩候様子、いかが候哉、此御報ニ懇ニ可承候、(尚、信吉の病状はいかがでしょうか?この手紙を受け取ったらまた知らせて下さい。)毎々内やくをも用候様ニ才覚専一候、已上、(毎回薬を服用させ治療に専念してください、以上。)一筆申候、仍我等所労しかと無之候間、能次而ニ候間、(一筆お便り申し上げます。よって私ははっきりとした仕事もないので、次はいつになるかもわからないので、)上方ニて、尚少養生候ハ...
七月三日付 信之宛書状、および八月廿二日付 河内守(信吉)宛書状
(追伸部分)尚々、上様へ蝋燭指上申候間、乍軽御指引被成、(尚々、上様(家光)へ蝋燭を差し上げることになったので、どのようにすればよいか軽く教えてください。)能様ニ御披露候やう、御年寄衆迄御仰遣可被下候、以上、(うまくできるように見てもらいたいので、年寄衆(家老衆)を連れてきて下さるとありがたいです。以上。)(本文)一書令啓上候、路次中御無事ニて御着被成候哉、無御心元奉存候、(お便り申上げます。道...
元和五年九月九日付 坂巻夕庵宛書状
今回は信之から坂巻夕庵宛に出された書状を元に、清音院殿について読み解いていこうと思う。坂巻夕庵とは、坂巻平次夕庵といい、真田家のお抱え医師で、今で言うところの主治医にあたる人物だ。古くから真田家に仕えていたようである。その坂巻夕庵宛に、元和五年九月九日付の書状が残されている。追伸部分尚々、養生之儀不及申候へ共、其方御肝煎□□頼入候、不可有油断候、(尚々、看病のことについては言わなくてもわかってい...
《追記あり》関ヶ原合戦時における、小松殿と清音院殿
関ヶ原の合戦時において、小松殿と清音院殿がどこにいたのかということを考察にするにあたり、まずは小松殿の婚姻時期から探らなくてはならなかった。小松殿の婚姻時期については諸説あり、どれも判然としない。天正一〇年にはじまり、天正一三年、天正一四年、天正一七年と、最大で七年もの誤差がある。当時の政治背景を見てみると、天正一〇年と天正十三年、天正一四年は除外していいだろう。天正一〇年についてはまだ、徳川と...
【再考察】信之の子供たちについて
以前から何度となく修正を繰り返してきた、信之の子供たちについての個人的な見解を再考察してみることにした。 今回、重要視したのは三女・四女の二人である。この二人についてはほとんど史料上には残されておらず、かろうじて蓮華定院 の供養帳(過去帳)に記載されているのみである。三女(若しくは四女)の清寿院殿については、いくつかの史料において真田昌幸の娘となっている。しかし、『真田御一家過去帳』、『真田御一...
【再考察】差出人『久』の書状について
今回は前回取り上げた『久』という女性から信之家臣である木村土佐守とその妻に宛てた書状について再度、検証してみたいと思う。 概要:この書状は慶長十九年(1614)十一月より始まった大坂冬の陣の一ヶ月前に江戸から出されたものである。 返々、せうくんさま、昨日二十三日おゑと御たちにて候、 (将軍様(徳川秀忠)は昨日、23日に江戸を発ちました。) くわしくハよくよく申しまいらすへく候、...
家督争いにおける、真田家の動向
今回は信之晩年に起こった、「家督相続事件」にスポットを当ててみようと思う。明暦四年(一六五八)二月五日に信之の二男であり家督を継いでいた信政が死去した。この跡目争いには様々な人物が関わっており、史料を取り寄せる前からその辺りはチェックしていたが、改めて主な登場人物をあげてみよう。・真田信之・真田信政(信之二男)・真田信利(信之嫡男信吉の三男)・真田右衛門(信政六男)・酒井忠清(酒井家雅楽頭系。老...